■ S.Korea WORKS ■
■私に韓国という門を開いてくれたYoo Dongjoという作家
Artist Dongjo Yoo opened gate what named S.korea for me.
■DONGJO YOO’s solo exhibition at CASO(Osaka) 1st. to 13th. April 2008
■ DONGJO YOO 氏のwebsiteを制作しました ▶ Please visit DONGJO YOO website
■ YOO JONGKOOK 氏のwebsiteを制作しました ▶ Please visit YOO JONGKOOK's website
2007年にUNEASINESS展を、長年の夢であった欧州の画廊で開催することができました。ブダペストの2B Galleryで無事にオープニングを迎え、一度帰国してから再度、別の交流展の打ち合わせを兼ねてブタペストに搬出に行きました。最終日に画廊で一人で作業を行なっていたところへ、次の展覧会を行う韓国作家が現れました。そこで初めて名刺交換を行い2日後の彼らのオープニングに顔を出しました。地球の裏側のハンガリーで偶然にも隣の国の人と出会い、意気投合し、「これからお互いの国で展覧会を開催しよう ! 」と盛り上がったのですが、そんなことが簡単にできるはずが無いと思っていました。帰国後、数ヶ月の時間がすぎた日、韓国作家のYoo Dongjo 氏から長い英文のメールが届きました。そこには、ハンガリーや韓国、日本の情景が綴られていて最後に私の個展を韓国のデジョンという町にあるのIGONG Galleryで企画したいという問い合わせでした。私はとりあえず「スケジュールは大丈夫で大変光栄です。」という返事を打ちました。すると数分後にまた英語で長文の返信が来ます。私は、この人は、大学の教授だからきっと女性の秘書が対応してるのだろうと想像していました。後で彼は大変語学が堪能で様々な国で活動している人物で、私が見たことのない方法で言葉を使う不思議な作家であることが少しづつ判明してきました。のちに彼は、京都にも訪れ、個展もUNEASINESS展も幾度となく韓国で開催させてもらうことになり、まさかまさかの友達をはるかに超える、貴重な人物となるのでした。
■ My Solo exhibition at Igong Gallery (S.Korea)
2008
私は、生まれて初めて海外で個展を開催することとなり韓国とは、一体どんな国なのだろうと不安な思いで準備を進めました。約100キロの荷物とタイ人のナックスというアシスタントと二人で、関空からソウルの仁川空港へ、そこから高速バスでデジョンへ向かいました。バスターミナルまで出迎えてくれたのは、昨年、ブダペストで出会ったYoo Dongjo 氏でした。画廊の近くにホテルを予約してくれて、車で材木を買いに行ったり延長コードを買いに行ったりしながら到着から48時間後のパーティに合わせて3点の木枠を製作し、200v の国で緊張しながら4台のプロジェクターのセッティングも無事完了しました。
この時は、生まれて初めて韓国の地に降り立ったのと、初の海外個展ということで、買ってきた材木が凍っていたことや何を食べても独特の臭みを感じたり、韓国特有の辛さになれなかったりしながら、アーティストとというある種のサバイバル精神を経験しました。中心的にサポートしてくれたYoo Donjo 氏とIGON GALLERYの代表:Jeon Hyungon 氏は、英語堪能でしたので意思疎通は全く問題ありませんでしたが、他の作家や観客は、全く日本語も英語も通じないのでテレビ局の取材では、「なんでもいいから作品の前で日本語で話してください。局に帰ってから、誰かに字幕入れてもらいますので、、、」と言っていくつもの取材を経験し、「夕方6時のニュースでは、どのチャンネルでも私が出演していた、」と次の日には、観客から握手を求められたりして、日本ではありえない経験をさせていただきました。
ある日の午後、ファッションビルのエントランスからナックスと二人で入ると混雑していた一階の売り場からサーと人が離れてゆきました。私たちは、この街には、滅多に見かけない謎の外国人だったようです。
■ エントランスには、岩澤有徑展とハングルで書いたバナーを作っていただきました。IGON gallery代表:Jeon Hyungon氏(左)と私(右)
■ Yoo Dongjo’s solo exhibition at CASO(Osaka Japan) 1st. to 13th. April 2008
■ UNEASINESS Ⅷ / Masato Asitani, Arimichi Iwasawa & Tatsuo Osawa (IGONG gallery / S.Korea) 2009
ハンガリー展から2年後の2009年に、UNEASINESS 展を韓国で開催することになりました。この時は、私と新婚旅行を兼ねた大澤辰男夫妻の3人で韓国に出向きました。1階に大澤、芦谷の作品を設置し2階に私の作品を設置することにしました。私は、部屋の両側に雲の映像を設置し観客が歩くとどちらにも影が映る作品のほか、中央に330 cm. のドットの平面を1点設置する展示を行いました。このころは、韓国の60代の作家たちがあまりにも元気で、夕刻ギャラリーで盛大なオープニングパーティーを行い、次に鍋の宴席があり2軒目には、気持ちのいいバーに案内してくれて大澤夫妻にお祝いの言葉をかけてくれました。3軒目には、カラオケに行ってまた4軒目5軒目は、ショットバーにゆくという桁外れな歓待をしていただき、私たちにとって記念すべき展覧会となりました。数日後、Yoo Dongjo 氏と私たち3名は、列車でソウルに向かいギャラリーや美術館を巡りました。大澤くんが地元の人がゆく本場の店に行って見たい、などと妙なリクエストをするので、何かわらない内臓が次々出てくる、本物のソウルフードに驚きの連続でした。
■ HICA - Over the channel - (海岸通ギャラリーCASO/Osaka Japan) 2009 企画/UNEASINESS
日本人は、出品しておりませんが、韓国の6名の作家を大阪に招聘する企画展を開催しました。私たちの3人組ユニット活動に感化された韓国作家たちが、2008年にデジョンとジョンジュを中心にHICAというグループを結成、2009年の大阪展が初の海外展となりました。
■ HICA IGONG gallery and La Nomade France cultural center (S.Korea) 2011 ▶ installation view
この時は、私と大澤夫妻、奥さんのお母様と友人も来場されました。私は、飛行機の映像とドットのアセテートペイント作品と30cm.のLED作品を出品しました。ここで初めてかぼちゃの絵を描くYoo Jongkook 氏 (写真左端) とも交流を深めることになりました。またこの時は、ギャラリーのJeon Hyungon さんの7人乗りの車に作品とキャリーバックと共に6人乗車してソウルまで移動するという満杯大移動があり、無事にソウルの美術館を2軒周り帰国しました。そこで気がついたのは、高速で2時間離れているデジョンと首都ソウルは、全く物価が違うということでした。
■ Project Daejeon 2012 : Energy(Pro:Daejeon city Museum/S.Korea) ▶ installation view
2012年春、デジョン市立美術館の館長から連絡があり、次の企画に作家を探しているとのことで、私がどんなスタジオで制作をしているのか視察に来られました。それから何の連絡もなかったのでてっきり企画には、選ばれなかったのかと諦めていました。すると Yoo Dongjo 氏から連絡が入り「岩澤は、メンバーに入ってるよ、すぐプランを送れ!」と言われて慌てて準備を始めました。会場は、デジョン市立美術館、公園、万博パビリオン、街中の画廊や店舗などを使用して開催される街をあげてのビエンナーレ形式の芸術祭。私は、よく知っている IGONG gallery の隣のカフェで発表することを担当キュレーターから説明され驚きました。総勢 300 名以上の展覧会でしたが、私の知る作家では、アイ・ウェイ・ウェイ、小谷元彦、三上晴子各氏らが出品されていました。たまたまこの時期に領土問題が話題になり、韓国の大統領が竹島に上陸する NEWS が流れ、中国では、日本車が燃やされる映像が連日報道され、3カ国の作家が近付くことが難しい不穏なオープニングでした。
■ HICA & UNEASINESS (IGONG GALLERY/S.Korea) 2012 ▶ installation view ▶ See invitationcard
Project Daejeonから数ヶ月後の年末、作品を IGONG gallery の Jeon さんに預かってもらっていたので再度HICA とのジョイント展に参加しました。この時は、年末から正月にかけての展覧会だったので家族をデジョンに招待したのですが、連日気温ー19 度で ”わさび” という店で生きたエビを大量にご馳走になりいっぺんに体調を壊してしまいました。
■ UNEASINESS & HICA (GALLERY北野坂/Kobe Japan)2013 ▶ installation view ▶ See invitationcard
出品作家/芦谷正人・岩澤有徑・大澤辰男・AN Chin・KIM Youngho・JUN Jaehong・JUNG Jangjig・YOO Jongkook・JEON Hyungwon・YOO Dongio
神戸のギャラリー北野坂でジョイント展を開催しました。韓国の人にとって、行列のできる中華街や綺麗なブティックや上品な洋食店が並ぶ三宮、元町、神戸という街並みは、韓国とは少し違う空気感だったのか、興味津々で街歩きの後は、有馬温泉や骨董店を巡られていました。
■ Solo exhibition at GYO DONG ART MUSEUM 2013(S.Korea) ▶ installation view
かぼちゃの絵を描く作家Yoo Jongkook氏のお陰でジョンジュという町の私立美術館で個展を開催することになりました。隣の建物にある併設画廊では、大澤辰男が個展を同時開催しました。私はプロジェクターを6台使用し200v の国で緊張しながらセッティングを行いました。無事に事故なく開幕できたのですが、会期中に火事でも起こしたら国家問題と、毎日ひやひやでした。
■ Golbang Art Film Fastival 2013
個展会場に現れた映像イベントのプロデューサーと色々話しているうちに、年末に映画祭に参加してもらえませんか?という話になりクラゲの作品と舞妓さんの作品を再編集して出品することになりました。日本からは、他に国府理氏が出品することとなり、お互いに連絡を取り合っていたのですが、驚いたことに国府氏は、翌2014年、美術館で作品搬入中に事故で他界されました。
■ UNEASINESS 15 (Gyo Dong ART Museum/S.Korea) 2016 ▶ installation view
個展開催から3年後の夏にUNEASINESS3人展を韓国の私立美術館で開催、という希望に満ち溢れたチャンスをいただきました。出会いから19年目にしてようやくこの3名が揃って海外の美術館のオープニング式典に参加して、幸せな乾杯をすることができました。ビビンバ発祥の地と言われているジョンジュという街は、まるでアミューズメントパークのように観光客で溢れ、韓流の貸衣装を身につけて散策したり、セグゥェーを借りて巡回したりする街です。歴史的建造物と最新のカフェが同居する地域で、まるで京都の祇園のような華やかさがありました。7月8月は、意外に暑くて冷房の効いている会場は若者の癒しの場所となりました。私たちのような抽象的で形態不明な作品は、この国にはあまりなく、それが珍しいと興味を持って芳名帳に英語や日本語で書き込みしてくれる鑑賞者もたくさんご来場いただきました。
■ 4 Artist Exhibition (Gyo Dong ART Museum/S.Korea) 2017 ▶ installation view
昨年に引き続き、Gyo Dong Art Museumで4人展に参加することなりました。韓国のKim,Jae-Kwon氏と Yoo,Jong-kook氏、日本からは、倉重光則氏と私の4人展です。初めて韓国の金浦空港で倉重氏と待ち合わせし、出迎えの車で高速を3時間走りビビンバの街ジョンジュへ向かいました。私は、倉重氏と韓国で発表するのは、初めてでしたので、毎日寝食をともに過ごし、美術における映像のあり方について連日談義をさせていただき、とても勉強になりました。私はこの展覧会のために名古屋港水族館に3万5千匹のイワシの撮影に行きました。そこでスピード感あふれる映像に色の変化をつけてポロックの絵画を連想させる映像を制作したのですが、倉重氏からは、「哲学がない!」と駄目出しを受けました。その後、再編集を試み字幕を加え、新しい作品に変化して年内の国内の展覧会に出品してようやく好評を得ました。
■ Solo Exhibition (Gyo Dong ART Museum/S.Korea) 2018 ▶ installation view
ギョードンアートミュージアムで2度目の個展を開催しました。
夏に神戸のグループ展に出品してくれた作家が搬入搬出をテキパキ手伝ってくれました。
韓国と日本の両国で韓国の作家と共に発表する機会があり、UNEASINESS展とHICA & UNEASINESS展、そのほかに、 NET WORK 21cという大型展にも個々の作家が度々参加しており、個展を含めると最初にYoo Dongjo氏と出会ったお陰で、想像もしなかった二国間交流が始まったことになります。私はそれまでニュースでしか韓国のことを見たことがなく、親しみを感じたことは、ありませんでした。それが現在では、親身になって対応してくれる韓国作家のお陰で、親戚のような感じがする今日この頃です。Yoo Dongjo氏は、私より少し年上ですが、7年間のドイツ留学を経験して来られた経緯から広い視野を持って制作に取り組む人物で、私が今まで見てきた海外の作家とは少し異なる感性を持っておられます。国を超えて交渉を重ねる活動には、壮大なスケールを感じます。また設置の際のプロジェクターの使い方や展覧会に置ける言語の役割が絶妙で、いつもその独特の手法に驚かされています。これだけの門戸を開いて韓国に私を紹介していただいたYoo Dongjo 氏とさらにUNEASINESSの3人をジョンジュに導いてくださったこの地の人気作家、Yoo Jongkook氏のお二方には、心より感謝御礼申し上げます。
追伸:韓国の料理は、最初とても辛くて熱いものが多くて、慣れるのに時間がかかったのですが、もっと日本人にオススメのものがあるのです。一つは、皆様ご存知のサンゲタンです。白いおかゆのスープに若鳥が丸ごと入っています。これを塩と胡椒をつけながら少しづつ食べるのは、至福の時間です。もう一つは、カルビタンというカルビのコンソメスープのような食べ物です。ちょっと臭みのある店もありましたが、デジョンのIGONG Galleryの近くの店は、本当に香りの良いわかめスープのような素晴らしいカルビのスープで何度食べても美味しいのです。またジョンジュのビビンパも日本とは、少し違う豪華な料理で、やはり日本食と同じで、本国で体験しないと本当のことはわかりません。食が、素晴らしいとその国の印象も違います。辛くない韓国料理を是非お試しください、、、
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