これまでのあらすじ

京都で幼少の時代を過ごし、小学校から高等学校まで電子工作や電子音楽に興味を持ったごく普通の少年だったが、なぜかアンアン、ポパイ、流行通信など雑誌や藤井大丸、BALビルなどの華やかな糸へんの世界にも異常な関心を持って自分の将来を模索していた。その後、親の反対を押し切って東京の原宿にある専門学校桑沢デザイン研究所でグラフィックデザインの勉強をする。同級生にイラストレーターの田代卓や漫画家の藤原カムイがいた。そこで現代美術のゼミに参加し、中島洋光(日夏露彦)氏という評論家の教室で学ぶ。この研究所で3年間、ほとんど写真の制作に没頭して過ごした。その後、デザイナーとしてパルコや西武百貨店のポスター、チラシを作る広告会社に毎日朝まで勤めていたが、美術館に大切に収蔵されている作品と違い、完成した日に過去のものとなる広告の世界に疑問を感じ4年で退社。1985 年の春からロンドンに滞在するのだが、日本人としての独自のアイデンティティが失われることが心配になり年末に帰国する。( いま思えばわずかな時間だったが、午前中は英語の学校で勉強し、午後は美術館や画廊を回り、夜は絵を描く日々を送っていた、今でゆうシェアハウスに住んでいて、同居していた Michael Paterniti は、のちにアメリカで有名な文筆家となった。)帰国後の1986年には、同じ英語学校で学んでいた山田真理と結婚する。

次に、現代美術を学ぶことのできる B ゼミスクール(横浜)に入門し、1989 年に終了する。そこでは、原口典之、中村一美、川俣正、安斎重男らが教鞭をとり実にわくわくする時間を過ごすことができた。この時、絵画の制作とともに木枠を自作する技や映像制作のすばらしさに目覚める。同級生には、丸山直文がいた。在学中の1989 年にギャラリー現(東京)で初個展を開催。1991 年には、ヤンフートの 1 日大学/鶴来現代芸術祭に出品。ベルギーのゲント現代美術館の当時の館長、ヤン・フートが作品を持参した作家と会話をしながら審査を行う新たなスタイルの公募展で、ヤン・フートの講演会の後、自分の作品とともに石川県鶴来市までの移動や展覧会初日のテレビの収録などがあり、今までにない経験をすることができた。(出品作/MOVING 2 は、のちに大分市美術館蔵となる。またこの展覧会には、まだ当時無名だった村上隆も出品していた。)1993 年に3度目の個展をギャラリー現(東京)で開催した際に、前の週に個展を開催していた倉重光則氏と出会う。画廊の代表/梶山洵子氏の薦めで倉重氏と師匠と弟子のような関係が始まり、ネオン管や蛍光灯、プロジェクターなどの設置作業を手伝う中で美術家としての活動術を学び、その後、長年にわたり親交を続けることとなる。このことがきっかけとなり、ギャラリー現(東京)シティーギャラリー(大阪)ギャラリーないとう(名古屋・岐阜)ギャラリーすずき(京都)などで巡回個展を開催するようになり、たいして作品が売れることもないのに次々と展覧会の計画だけは、忙しくなるという新種の作家活動に追われる日々となる。< Bゼミ所長:小林昭夫氏とは、東京文化財研究所

1997 年に大阪のシティーギャラリーI.M.で個展を開催した際に画廊で働いていた大澤辰男とオープニングに現れた芦谷正人に出会い、3人が中心となり1998 年「 ART・UP!」を企画、大阪府立現代美術センター〜Xa104 ロードサイドギャラリー〜神戸アートビレッジセンターを巡回。国立国際美術館の中井康之氏や平芳幸浩氏と出品者とで会場トークショーを行うなど、若手にしては、大胆不敵な展開を行っていた。2001 年から信濃橋画廊(大阪)にて芦谷正人・岩澤有徑・大澤辰男による「 UNEASINESS 」3人組ユニット展を発足する。美術史に残るような宣言文はなく、当たり前のキャンバスとブラシスストロークの絵画ではなく、「平面でありながらどこにも該当しない特殊なプログラム性や、独自のシステムを有する制作を行う、」ということが根幹に通じる3名で、難題が生じると梅田に集合し「 3人寄れば文殊の知恵 」で解決!今まで継続できたのは、幾多の困難をうまく乗り超えてこられたのが所以なのかもしれない。( uneasinessとは、簡単ではないものという意味で始めたのだが、英語圏の人から大きな意味は、不安とか不調ということだと指摘された。ダブルミーニングで面白いという理由から現在に至っている。)3名は、それぞれに個展活動を行いながら、uneasinessとしてのユニット展、企画展を行い、2007 年には、2B Gallery(ハンガリー)2009 年には、IGONG Gallery(韓国)で海外3人展を開催。

2007 年にブダペストの2B galleryで搬出を行っていた際に偶然次の週に出品する韓国作家の Yoo Dongjo と出会いその後、韓国との交流が長年続くことになる。またこのころは、京都の都ホテルの前に当時あったギャラリーすずきによく足を運んでいて、2005 年のある日、言葉が通じなくて困ってる外国人カップルが偶然画廊にいて、話を聞いてみたところ、大胆にもアポなしでブダペストから作品を持って訪れた Szilágyi Erzsébet だった。同席していた作曲家の Bank Sary とともに京都に50 日ほど滞在して帰国したので、なんとか交流展を開催できないか計画が始まったのだが、ギャラリーすずきの代表/鈴木淑子氏と私が何度も打ち合わせに渡欧することになり、ようやく2008 年に " AD LACUM FELICIS -Town of glad lake " (The Kuny Domokos Museum/Tata Hungary)その後、2011 年には "MIZU VIZ/WATER" (The collection of local history of ferencvaros 〜 A38 Gallery/Budapest Hungary)を実現した。

2008 年には、IGONG Gallery (韓国)にて個展。2012 年に奈義町現代美術館ギャラリーで個展を開催。2012 年 Project Daejeon 2012 : Energy (企画:デジョン市立美術館/韓国)に出品。世界中の作家の美術館企画展なのだが、中国、韓国、日本が島の領土問題で連日抗議の様子が News 報道されている時期でお互い近寄れない不穏なオープニングパーティを迎えた。出品作家には、Ai Weiwei (中国)や小谷元彦(日本)、三上晴子(日本)らがいた。UNEASINESSは、この頃、韓国でUNEASINESS展や韓国作家と3人のグループ展などに、ほぼ毎年参加するようになった。2013 年に韓国の私立美術館 Gyodong Art Museumにて個展を開催。その時に会場にこられた映像プロデューサーと知り合い、2013 年 Golbang Art Film Festival (全州市/韓国) に出品。(日本からは、国府理も出品。)2015 年 Hebel_121(バーゼル/スイス)にて個展を開催。海のない国でクラゲの映像を発表したところ地元の小学生が毎日画廊のガラスに顔をくっつけて見ていた。2016 年には、韓国の Gyodong Art Museum で 今度は、UNEASINESS 展を開催。

UNEASINESS展は、2001 年に信濃橋画廊(大阪)で発足後、初回と2度の海外展を除き国内では毎回ゲストを1名迎え、開催してきたが、2010 年に10 回目の展覧会を最後になんと信濃橋画廊が、閉廊。11 回目から近年まで2kw Gallery(大阪)で継続。(現在は、2 kw galleryは、大津に移転)その後、2018年にUNEASINESSは、国内の美術館では、初めて奈義町現代美術館で発表することになりました。「 ART・ UP ! 」から20年の節目の年。そして2021年1月~ 2月は、大分県日田市立博物館にてUNEASINESS展を開催します。オリンピックイヤーとなはずだったこの年代に、一体何が起こるのだろうか、 2022年には、3名が大阪で出会ったCitygallery2320(現在は神戸)にて18回目のuneasiness展を開催

エピソード

美術にまつわる話は、いろいろあるが、特筆すべきは、コレクター利岡誠夫氏との交流だろう。利岡氏とは、画廊や、ホテルのアートフェアで度々対面していたが、2013 年に初めて師匠、倉重光則の指示で作品を預かりに長岡京の自宅を訪れた。その際に山のような美術品をすべて作家に返却すると言われ「それはもったいない、もしご寄贈のお考えがございましたら、大分県知事さまに打診することができます」と伝えたところ、翌日電話があり、なんとか、422 点の現代美術作品を無事に大分県立美術館に届けることができた。( 中には、アルベルト・ジャコメッティーやエリザベス・ペイトン、ジョセフ・ボイスのドローイング、森村泰昌のフェルメール研究のほか、ダミアン・ハースト、イリア・カバコフ、ドナルド・ジャッド、サイ・トンブリのエディション付きの作品など開けるたびに手が震えるほどの素晴らしさに、驚きの連続だった。まさに日本のハーブ・アンド・ドロシーのような話に遭遇した。) 利岡誠夫氏は、2018年9月24日に永眠されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。▶ 利岡誠夫ストーリのページ

 

 心に何を視つめるのか、

 

改めて、美術の社会的役割とは、何なのだろうと考えてみるとします。21 世紀に入り、すでに24 年目、私は、世界中の人に「 あなたにとって20 世紀と21 世紀の違いは、何ですか?」と質問してみましたが、誰ひとり、私が期待したような明快な返答をしてくれた人はいませんでした。誰にとっても、この24 年間、人々の人生は、何かに疑問を感じ、期待を持てずに、喪失感を感じながら一段一段階段を上っている途中、、、そんな風に私には、聞こえました、ただ私は、自分が美術家で良かった、と感じています。美術の世界には、それほどすごい、好景気に出会うこともなければ、それほどすごい、恐慌に巻込まれることもないのです。しかし、新しい世代の自分より若い作家が考えることは、私の世代とは違います。それぞれの世代の作家が、切磋琢磨しながら、生き残りをかけて戦っているという事には、違いありません。これまでに培った知識を最大に生かし、どうにかして、しかし何の世界にも楽しみを見いだすことができなければ、前に進むことはできません。

すべての人々の脳裏にある膨大な、ファイルには、今まで見て来たすべての記憶が納められているとしましょう。美術愛好家には、多くの美術品が、ファイルされていることと想像します。そこで、新たに、私の作品を見た人は、今までのファイルに酷似した作品は、ないか、、、瞬時に脳内のファイルを検索し始めます。時に、時間を要するときもあります。そして同時に、新しい脳内ファイルに目の前にある作品を保存し始める作業も進行します。この作業は、実は、愛好家にとって、ある種至福の時間なのです。人々が、優れた美術に対面した時に癒されるというのは、実は、こういう作業の工程が心地よいからなのです。素晴らしい作品に遭遇した時には、日本人ならわかるはずの温かい風呂に入ったときのような、幸福感に包容される瞬間を体験出来ます。それは、脳内が活性化されているということなのです。こんな作品を目指すこと、これが、現在の私にできる美術家としての役割です。しかし、わたしにとっての遭遇とは、46 億年前の地球の誕生から、いま自分が生きている時間、過去の美術家の生きた時間、そして、これからの時間、想像の中で瞬間移動すること、それが私を活性化してくれる瞬間なのです。

私は、2010 年に実に25 年ぶりにパリを訪れ、エドワール・マネの「草上の昼食」に対面して来ました。1862 年のどういう時代背景の中でどんな思いを内に秘めて制作したのか、想像する時間は、とても心地よいものでした。私の中に流れているもの、それは、皆様が持っているのと全く同じ、数字と、時間の世界なのです。これからまだ私が見たことのないどんな素晴らしいものに出会うことができるのか、楽しみは尽きません。それは、すべて、私の制作に何らかの形できっとプラスになるに違いないと信じてがんばってゆこうという励みに繋がるからなのです。あなたにとってすばらしいの美術とは、どんなものですか?

近年現代美術という分野の企画展には、必ず映像の作品が登場します。それは、かつては、16 mm.や 8 mm.の銀塩フイルム、ベータやVHSのテープであったものが、コンピューターやDVD、ブルーレイとなり、機材も、映写機やブラウン管から、プロジェクターや薄型モニターに変わって来ました。作品の内容も、いままでのじっと動かない絵画や、彫刻にかわって光を放つ作品や人間に反応して動きだす作品に移行してきました。それは、21 世紀に入って急速に発展したインターネットのスピードに起因していると私は考えています。20 世紀には、まだ電話回線だったものが、ISDN、ADSL、光ファイバー、5Gと進化を遂げ、複雑な映像が、DVDと変わらない美しさで滑らかに手の中で動くようになりました。指先の反応の早さに従い、観客は、何事にも心地よいスピードを要求しているのです。入館者は、動かない彫刻の前には立ち止まらないで、自身が歩きながら観察する習慣が生まれ、動く作品は立ち止まって観察する。それが現在の、展覧会の見方のように私には感じられるのです。それでも私は、平面絵画から自分の仕事を始めましたので、今でも、何かを描く時間は、最も集中力の高まる瞬間です。そこで私が制作する絵画も、近年の世界の動向を踏まえた上で、観客に何らかの錯視と遊戯を提供することを作法としています。ある一方では、よりスピードが出ることだけを開発競争してきた自動車業界も、21 世紀になり静かに走る電気自動車を提供する時代になりました。しかし、古いものの良さを見いだすということもまた別の視点から考えると大切なことでもあります。今後私は、人々にゆっくり物事を考えるということがいかに大切かという希望を内に秘めた絵画をこころに描き、映像作品と同時に制作してゆきたいと存じます。  いわさわありみち

 

■■ 追伸/2018年4月に、トークショーを行った藤本由紀夫氏が、答えてくださったのです。21世紀は、20世紀と全く違う、それは、家から出なくても万博が見られるようになったのだ!大阪でこれからもし万博が行われても、わざわざ行かなくてもnetで大方のことは、わかる。そこが1970年とは、違う!とおっしゃってました。そういえばそうなんだ!

■■ そして、2023年に新しいキーワードが生まれたのです。『アフターコロナ』そしてこれからの明るい未来がきっと来る!

 

 

 

iwasawa arimichi C.V.

go to English C.V.

 

1958 ◼ 京都府生まれ
1981 ◼ 桑沢デザイン研究所グラフッィク研究科卒業 (東京)
1989 ◼ Bゼミスクール終了 (神奈川)

 

個 展

2023 ◼ あべのハルカス近鉄本店 美術画廊 (大阪) ▶ 会場風景

2022 ◼ トキハ本店美術画廊 (大分)

2021 ◼ 大丸京都店美術画廊 + ESPACE KYOTO (京都) ▶ 会場風景

2019 ◼ City gallery 2320 (神戸) ▶ gallery website

2018 ◼ Gyodong Museum of Art (韓国) ▶ 会場風景  ◼ 2kw ギャラリー(大津)▶ 会場風景  

2017 ◼ ギャラリー・エスパス(名古屋)▶ 会場風景  ◼ オリエ・アートギャラリー(東京)▶ 会場風景 

2016 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景 ▶ youtubeで見る

2015 ◼ Hebel_121(バーゼル・スイス)▶ 会場風景

2014 ◼ 大分市民ギャラリー(企画:大分県立美術館)▶ 会場風景

2013 ◼ ギャラリーすずき(京都)▶ 会場風景 ◼ ギャラリーあしやシューレ(兵庫) ◼ GYO DONG ART MUSEUM(韓国)▶ 会場風景

2012 ◼ 奈義町現代美術館ギャラリー(岡山)▶ 会場風景 ▶ 詳細ページ ▶ 新聞記事を読む ▶ youtube

2011 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景  youtube

2009 ◼ 海岸通ギャラリーCASO(大阪)

2008 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景  ◼ Igong Gallery(Daejeon/韓国)▶ 会場風景 ◼ ギャラリーすずき(京都)▶ 会場風景 ◼ 海岸通ギャラリーCASO(大阪)

2007 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景

2006 ◼ ギャラリーすずき(京都)▶ 会場風景

2005 ◼ 海岸通ギャラリーCASO(大阪) ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景 ◼ ギャラリーすずき(京都)▶ 会場風景 ◼ シティーギャラリー(大阪)

2004 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景 ◼ シティーギャラリー(大阪) ◼ ホワイトキューブOSAKA(大阪)

2003 ◼ シティーギャラリー(大阪) ◼ ホワイトキューブOSAKA(大阪)▶ 会場風景 美術手帖2003年7月号展評

2002 ◼ シティーギャラリー(大阪) ◼ ホワイトキューブOSAKA(大阪)▶ 会場風景 ◼ キャラリーすずき(京都)▶ 会場風景 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景 ◼ ホワイトキューブKYOTO(京都)

2001 ◼ シティ−ギャラリー(大阪) ◼ ギャラリーないとう(岐阜)

2000 ◼ シティーギャラリー(大阪)

1999 ◼ シティーギャラリー(大阪) ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景

1998 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景

1997 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景 ◼ シティーギャラリーI.M(大阪)

1994 ◼ ギャラリーNWハウス(東京) ◼ ギャラリーないとう(愛知) ◼ ギャラリーNWハウス(東京)

1993 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景

1992 ◼ ギャラリー現(東京)▶ 会場風景  美術手帖1992年4月号展評

1989 ◼ ギャラリー現(東京)▶  会場風景

 


■ Mrs.Suzuki (president of gallery suzuki) came to my studio with artist 2005.

 

グループ展(UNEASINESS企画を省略)

go to uneasiness past exhibition

2024 ◼ "Two anchors, a stream of sea" ( Gyo-dong Art museum)▶ 会場風景

2023 ◼ Art & Recipe 2023 ( Gyo-dong Art museum) ◼ HAKOBUNE - 放射されるアート - (企画 / 倉重光則・協力三浦市三崎町)▶ 会場風景

2022 ◼ 回遊劇場"AFTER" (企画 / 菅 章・大分市)▶ 会場風景 ◼ 浄厳院現代美術展 2022 (浄厳院/滋賀県)▶ 会場風景

2021 ◼ NAGI Museum Night 2021 (奈義町現代美術館/岡山)▶ 会場風景

2019 ◼ 回遊劇場"SPAIRAL" (企画 / 菅 章・大分市) ▶ 会場風景 

2018 ◼ 現在展ー日本と台湾の美術交流ーいまがあるー (元離宮二条城台所 京都)▶ 会場風景 ◼ 現代アートの宝箱 OPAM利岡コレクション(大分県立美術館) ◼ ART de MEAT NAGI 2018 (奈義町現代美術館/岡山)▶ 会場風景 ◼ Gyodong Museum of Art + Art Group ATTI + UNEASINESS (ギャラリー北野坂/神戸)

2017 ◼ ART de MEAT NAGI 2017 (奈義町現代美術館/岡山)▶ 会場風景 ◼ OVER THE CANNEL (Gyodong Museum of Art/韓国)▶ 会場風景

2016 ◼ 身も心も!現代アートに恋い焦がれてー利岡コレクション+大分アジア彫刻展(大分県立美術館)▶ 会場風景 ▶ 詳細を見る ◼ AOSE 開館記念展(大分県日田市)▶ 会場を見る1、 2、

2015 ◼ 中・韓・日美術作品交流展(東北電力大学 芸術学院/吉林省 中国)▶ 会場風景

2014 ◼ アート水族館(招待出品:おおやART LABO/兵庫)▶ 会場風景 ◼ Four Artist Exhibition(LA ARTCORE GALLERY AT BREWERY ANNEX/Los Angels U.S.A.)

2013 ◼ 信濃橋画廊コレクション展(兵庫県立美術館)▶ 展評を見る ◼ Golbang Art Film Festival (全州市/韓国)

2012 ◼ Tailand - Japan Sculpture Symposium 2012 (チェンマイ大学美術館/タイ)▶ 会場風景 ◼ ハンガリー・日本現代美術展 2012 (ギャラリー北野坂/神戸) ◼ Project Daejeon 2012 : Energy (企画:デジョン市立美術館/韓国) ▶ 会場風景

2011 ◼ MIZU VIZ / WATER (The collection of local history of ferencvaros 〜 A38 Gallery / Budapest Hungary) ▶ 会場風景 ▶ youtube

2010 ◼ ハンガリー・日本交流展 “WATER” (ギャラリー北野坂/神戸〜京都芸術センター) ▶ 会場風景 ◼ OVER TONE Ⅱ (神奈川県民ホールギャラリー)

2008 ◼ AD LACUM FELICIS -Town of glad lake (The Kuny Domokos Museum/Tata Hungary) ▶ 会場風景

2007 ◼ 神戸ビエンナーレ 2007 (メリケンパーク特設会場/神戸市) ▶ 会場風景

2004 ◼ 温故知新 (シティギャラリー/大阪)

2002 ◼ MEMORABILIA (Goliath Visual Space/NEW YORK U,S,A,)

2001 ◼ WE LOVE OUR CUSTOMERS(NEW YORK U,S,A,/Dir,Robbin & Andres) ◼ 倉重光則+岩澤有徑/二人展 (ホワイトキューブOSAKA/大阪)
◼ 第5回大堰川野外美術展/明かりのありか (八木町・京都)

2000 ◼ 画廊の視点2000 (大阪府立現代美術センター・大阪) ◼ 三浦市現代美術展 <半島1> MIURA ART PROJECT/ゲームと手段 (三浦市・神奈川) ▶ 会場風景

1999 ◼ 第3回大堰川野外美術展 (八木町・京都)

1998 ◼ 象の眼に映るブルーフィッシュ (テレコムセンター/東京) ▶ 会場風景 ◼ RESONANT BOX -共鳴・共振する箱- (神戸アートビレッジセンター/兵庫) ◼ フェリシモ・ミュージアム開館記念 -アートになったハイセンス絵本展- (フェリシモ・ミュージアム/兵庫) ◼ INTERNATIONAL GROUP SHOW (CAELUM GALLERY/NEWYORK U,S,A,)

1997 ◼ Bゼミ30周年記念ベネフィット展 (ヒルサイドホール/東京)

1996 ◼ 第一回昭和シェル石油現代美術賞展入賞 (東急文化村ギャラリー・東京)▶ 作品を見る ◼ 第36回パリ招待サロン 『現代の巨匠と青年』 招待出品 (エスパス・エッフェルーブランリ・パリ/Dir.パトリック・ジル・ベルソン)◼ 音の無い夏 (旧三浦市三崎町魚市場・神奈川) ▶ 会場風景

1992 ◼ ボイスを考える部屋・穴水展 (穴水町・石川/企画・ワタリウム美術館) ▶ 会場風景

1991 ◼ 鶴来現代芸術祭/ヤンフートの一日大学 (鶴来町・石川/Dir.ヤン・フート)▶ 作品を見る ◼ ヤン・フートの眼 (三菱地所アルティアム・福岡/Dir.ヤン・フート) ◼ ボイスを考える部屋 (ワタリウム美術館・東京/Dir.リシアノ・スタニスラウスキ) ▶ 会場風景

1989 ◼ HB (ギャラリー現/東京) ▶ 会場風景

 

ステージワーク/舞台・テレビ

 

2001 ■ ニュース番組「何で何でサンデー」に作品5点を展示(毎日放送・大阪)

2000 ■ 「ピアノトリオと仲間たち」(市川市文化会館小ホール・千葉)▶ 会場風景

1999 ■ 東芝日曜劇場「GOOD NEWS」に大型作品6点を展示(TBS緑山スタジオ・神奈川)■ ボローニャ・アンサンブル・コンサート(葛飾シンフォニーヒルズ・東京)▶ 会場風景 ■ TBS金曜ドラマ「CHHEP LOVE」に大型作品6点を展示(TBS 緑山スタジオ・神奈川)

1998 ■ クラリネット・トリオ・コンサート(市川市立映像視覚センター/グリーンスタジオ・千葉)▶ 会場風景

1997 ■ シューベルト生誕200年記念ピアノ・トリオ・コンサート(市川市立映像視覚センター/グリーンスタジオ・千葉)▶ 会場風景

1995 ■ 江口有香バイオリン・コンサート(いずみホール・東京)▶ 会場風景

1994 ■ 江口有香バイオリン・コンサート(一音寺・京都)

 

 

 

◼ Public collection

兵庫県立美術館 

大分県立美術館

大分市美術館 

大分県日田市 

奈義町現代美術館

Gyodong Museum of Art(韓国)

フェリシモミュージアム(神戸)