photo ⓟ Shigeo Anzai
■ 銀座 1丁目ギャラリー現ストーリー
< The History of Gallery Gen for me.>
◼ 1987年11月09日、東京銀座の松屋の 2本裏通りにあるフランス料理店の 3階に素敵な画廊が出現、代表の梶山洵子さんが素晴らしい空間のギャラリーをオープンされました。こけら落としは、原口典之展を 3回連続で行われ、私は、当時Bゼミスクールの門下生でしたので、毎回搬入を手伝いに行きました。
◼ オープンから約 1年後の1989年01月から個展を開催させていただき、そのすぐ後には、一門展の「HB」(HARAGUCHI・B-semi)が 3週間開催され、またもや出品の機会を得ました。そして 2度目の個展を1992年に開催させていただきこの時は、初めて美術手帖の展評に取り上げていただきました。
◼ 1993年に 3度目の個展開催の際、前週の土曜に搬入を行うために京都から運送屋とともに画廊に向かうと倉重光則さんが大変困難な鉄の作品搬出を行う時間で、私も運送屋も作業を手伝わざるをえない状況に遭遇しました。無事に双方の搬入出を行い、倉重さんは、後日私の展覧会に勝又豊子さんと共にご回廊賜りました。お帰りになった後、梶山さんから「岩澤さんのように一人で制作している人は、お手本になる人を見つけないとこれ以上、上には上がれません。これから倉重さんから何かを学びなさい ! 」と作家活動の行く末を模索していた私の心を見抜かれたのかのように、そんなご提案をいただきました。とはいえ私は、京都在住で倉重さんは、神奈川県三浦市在住ですから、学ぶと言っても一体どうすればいいのか?新たな思案の始まりでした。しかしこの日から偶然にも現在までご縁が続くことになりました。
◼ 実はもう一つ、不思議なエピソードがありました、22歳から10年間、私は、目黒区に住んでおりました。そこでギャラリー現が開廊する 5年ほど前、デザイン会社勤務時代からいつもお世話になっていた主治医の先生がおられました。待合室にクリストの版画が飾られていて、何かが通じる親しみを感じていたのですが、その先生が、3度目の個展会場に突然来られました。それまで全く知らなかったのですが、その先生は、ギャラリー現の梶山さんのご主人でした。こんなご縁てあるんや、と驚きました。それからずいぶん時間が経過しましたが、私は、今も倉重光則氏と勝又豊子さんから多くのことを学ばせていただいております。
◼ またこの場所がもう一つ素晴らしいことは、誰が個展を開催していてもこの画廊のことが大好きなお客様が次々と来られることなのです。この地にこんな素晴らしい空間を作られた梶山洵子さんに心から感謝いたしております。 岩澤有徑拝
倉重光則氏のwebsiteを制作しました。▶ kurashige.org
◼ 1st. to 13th. solo exhibition in Gallery Gen + HB
◼ DMをクリックしてください、会場風景をご覧いただけます。
■ Please click invitation card. you can see installation View !
■ 1989 ◼ギャラリー現 1.(東京)
■ 1989 ◼ 「HB」ギャラリー現
■ 1992 ◼ギャラリー現 2.(東京)
■ 1993 ◼ギャラリー現 3.(東京)
■ 1997 ◼ギャラリー現 4.(東京)
■ 1998 ◼ギャラリー現 5.(東京)
■ 1999 ◼ギャラリー現 6.(東京)
■ 2002 ◼ギャラリー現 7.(東京)
■ 2004 ◼ギャラリー現 8.(東京)
■ 2005 ◼ギャラリー現 9.(東京)
■ 2007 ◼ギャラリー現 10.(東京)
■ installation view with Christian and Andrea from Zürich 2007
■ 2008 ◼ギャラリー現 11.(東京)
■ 2011 ◼ギャラリー現 12.(東京)
■ 2016 ◼ギャラリー現 13.(東京)
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< IWASAWA at Gallery Gen in 1992 >
photo ⓟ Tatsuhiko Nakagawa
◼ 初個展から 2度目の個展の間に娘が誕生しました。その娘は、現在30歳になり一昨年結婚しました。
■ またここで使用させていただきました会場写真の大半をカメラマンの新居康史さんに撮影していただきました。おかげで、このような記録ができましたことを感謝いたしております。
■ 今まで330cm、の作品を小さなエレベータしかいないビルの 3階の画廊内で組み立てて展示しておりましたが 2011年の個展では、重さ60kgの180x180cm.のエレベータに乗らない一枚物のLED作品を階段の外からロープで 3人で持ち上げて運び、設置しました。その時には、ようやく安斎重男さんが「今回は、岩澤くん写してあげようか、」と言って初めてシャッターを切ってくださって嬉しかったです。またこの時は、父が他界した直後だったので当時の自民党の幹事長さまや衆議院副議長さま、大分県知事さまや大分県日田市長さまがご来場され下のレストランのオーナーが「今週いったい何してるんです、どうしたんですか?」ゆうて驚いておられました。